うんこブログ、のつもりではないが

どうもうんこブログになっちゃったみたいなので
調子こいて、古い話で恐縮だが最高のうんこをお届けすることにする。
時は2003年の正月。
発端は中国・上海。
当時、上海に超高級中華レストランを建設したいというクライアントがいて
(もちろん頓挫)、2週間に一回、そりゃ夢のような中華料理を喰いに上海まで通った。
中でも浦東のホテルで喰った「世界料理」なるものはスゴかった。
イタリア人やらフランス人やら日本人やらのコックに中華を作らせるのだ。
ピザみたいな中華、鮨みたいな中華、なんでもアリだ。
豪華なインテリア、ウマいワイン。
なんとひとり1万元(約15万円)らしい。
少し田舎の中国人の年収にも値するこの額をオレはもちろん払ってない。
原因はここではない。
上海の目抜き通り、ワイファイルーから少し。
瑞金賓館。
周恩来だかダレだかの邸宅をリノベした高級ホテルの中華レストラン。
クライアントは日本に留学経験のある金持ちの若い夫婦だった。
その妻の友人とかゆうコレまた美しい女が2人。
夫妻、オンナ2人、それにオレ。5人で食った。
中国で生モノはあかんことくらい知ってるので
いかに高級ホテルでもカット果物など喰わない程度には用心深いオレだったが
ここでは気を許した。
カニ
ちゅるりん。
タレがこれまた。
夢のようなお味だった。
ウマいんだもん〜。
様子がオカシクなったのは帰りの飛行機。
ビジネスクラスだったがあたりまえだが便所はエコノミーとおなじつくりだ。
狭い便所をむちゃくちゃにする勇気がなく、成田までがまんしようとした。
もうすぐ着陸。シートベルトを締めろ。
その直後、ダメになった(´д`)。
便所をむちゃくちゃにしたほうがマシだった。


それから1週間。
ずっとトイレで暮らした。
水を飲んでもそのままお尻から出るだけ。
1週間後、死んでしまうかも、と思い近所の都立病院へ。
建築家になりたかったとゆうずいぶん気の利いた医者で
コレは未知の病原体かもしれないなぁ、などとウソぶきながら
大量の抗生物質を毎日投入してくれた。
様子がマシになってきた1ヵ月後、オレの体重は15キロ減った。

未知の病原体、「SARS」が大流行をはじめたのはその年の春だった。