臓器移植と原発
晩年の吉本の発言でたったふたつだけれど、首をひねるものがあった。
ひとつは臓器移植に対する臓器提供意思表示に異を唱えるものでもうひとつは原発だった。
臓器提供の方は首をひねりながらも割合早い時期に合点がいった。
結局のところ、死後の臓器提供意思表示は、無い者に対する有る者の上から目線の奢った考えでしかない。
だが、原発の方はわからなかった。
日本と言う技術立国で最高の技術陣が最高の技術を結集して作っているのだから原発はアリ、だという。使用済み燃料の処理方法もいまだ見つからない今、そんなのアリか?というのが大方の考え方だろう。
しかし、2011年3月、ある福島の労働者の次のような発言でそのなぞは解けた。「このまま飢え死にするのも原発処理で働いて死ぬのも同じだ。」
飢え死にか被曝か死に方にはいろいろあるだろうがどうせ人間は死ぬ。ならば論理的にはほぼ100%に近い安全性でもって設計、建設、運転し、その結果安価に電力を供給しているのだからそれもアリ、なのだ。
ただし、同時にこの国の技術とかいうものがやっぱり大したことがないこともわかった。